開幕2日間で見えた勢力図――レイカーズ圧勝、ウォリアーズの岐路、ウルブズの新風
The Hoop Collective(2026年10月23日配信)でブライアン・ウィンドホーストがシーズン開幕2日間を総括した。
Cousins with Vince Carter & Tracy McGrady(2026年10月28日配信)でファボラスが語った
番組カズンズ

Cousins with Vince Carter & Tracy McGrady(2026年10月28日配信)でファボラスがヒップホップとNBAを語った。
ビンス・カーターとトレイシー・マグレディがラッパーのファボラスを迎え、2000年代初頭の個性あふれる競争環境、ミックステープ文化の変遷、9.11とデビューアルバムの衝撃、Lil Wayneとの制作秘話、ブルックリンのオールタイムトップ5、50 CentによるJay-Z批判への反論、そしてカーターとマグレディの大学進学と高卒プロ入りという異なるルートまで、約99分にわたる対話の中身を整理する。
マグレディが「2001年頃は50セント、Jay-Z、ジャ・ルールがひしめく最もブレイクが難しい時代だった」と切り出すと、ファボラスは当時の競争環境をNBAになぞらえて説明した。各アーティストが独自のサウンドとスタイルを持っていたからこそヒップホップが成り立っていたと振り返り、それは各チームにスター選手がいた90年代のNBAと同じ構図だったと語った。
「当時はみんなそれぞれ自分のものを体現してるって感じで見てたんだよ。わかる?そんなふうには捉えてなかった。バスケットボールの見方と同じで、各チームにスターがいる、そういう感覚」
— ファボラス [03:29]
マグレディも「俺はビンスとは違うプレースタイルだったし、ビンスはポール・ピアースとは違った」と共感し、トレーナーやSNSの普及によって選手の個性が薄れた可能性に言及した。ファボラスは今のヒップホップへの批判として「サウンドが似通ってきた」点を挙げつつ、インターネット以前は同じ影響源から吸収しても「自分のものにしていた」と強調した。マグレディが「どのタイミングでそれぞれの個性が消えていったのか」と問いかけると、ファボラスはSNSとインターネットがあらゆる地域の人間にすべてを見せてしまい、自分をその型に近づけるトレーニングが可能になった点を指摘した。両者の時代にも影響を受け合う関係はあったが、そこから「自分のもの」に昇華する文化があったという共通認識で一致した。
カーターがデビューアルバム『Ghetto Fabulous』25周年に話題を転じ、発売前夜の心境を尋ねた。ファボラスは前夜は普通に過ごして眠れたが、当日の朝に9.11が起きたことで状況が一変したと振り返った。
「例えるなら、ドラフト当日にそんなことが起きるようなもんで、全部ひっくり返るんだよ。そこまで必死に積み上げてきたアルバムじゃなくて、世界で何が起きてるかに意識を向けなきゃいけなくなった」
— ファボラス [10:06]
マグレディが「いつプロモーションに気持ちが戻ったのか」と聞くと、ファボラスは「その日じゃなかったのは確かで、だいたい一週間後くらい」と答えた。ニュースが一色に染まりどんな話題も埋もれてしまう状況だったが、当時リリースしていた「Can’t Deny It」のミュージックビデオにたまたま星条旗の色が多く使われており、それが9.11後のアメリカの空気と結びついてMTVのナンバーワンビデオになったという。ファボラスは「あの出来事と繋がった感じがした」と語りつつ、ニューヨーク以外の街では普通に盛り上がっていたことも明かした。デトロイト出身のビッグ・ショーンが発売日に店でファボラスのアルバムを選んでくれたエピソードを紹介し、世代的なつながりの強さを実感したと述べた。
カーターが「昔はミックステープとアルバムは別物だったのに今はほぼ同じ」と問いかけると、ファボラスは2010年前後を転換点として挙げた。
「インターネットが普及して、ドレイクやケンドリック・ラマーが出てきた2010年代前後くらいから、アルバムとミックステープの境界線がぼやけてきた気がする」
— ファボラス [20:49]
それ以前のミックステープはストリートに流すか路上のブランケットの上で売るもので、スマホで聴けるものではなかったとファボラスは説明した。マグレディが「お前のミックステープが大好きだ」と告白し、一番好きなシリーズは「There’s No Competition」の1作目だと明かすと、ファボラス自身は「Soul Tape」シリーズを挙げた。
「あれは自分自身の進化みたいなものだったから。わかる?年を重ねて、『There’s No Competition』でラップしてた頃とは違う場所でラップするようになってたから」
— ファボラス [22:23]
「There’s No Competition」の頃はバースを吐き出すだけだったが、「Soul Tape」にはアーティストとしての成長が反映されていると語った。カーターは「Freddie vs. Jason」を推し、「二人のヘビー級が同じステージにいる」構図を絶賛した。ファボラスはミックステープが自分の成功の土台を作ったと総括し、50セントやウィズ・カリファもミックステープのカタログから頭角を現した例として挙げた。
カーターがLil Wayneとの制作スタイルを尋ねると、ファボラスはほとんどがファイルのやり取りだったと明かし、2つのエピソードを披露した。1つ目は、アルケミストのために録ったバースが2年後にWayneの「Carter III」収録曲「I Think You Ain’t Got Nothing」に使われた話だ。ファボラスは「あのジョイント録ったの2年近く前だぞ」と驚いたが、フィーチャーでも手を抜かない姿勢が結果的に自分を救ったと教訓を引き出した。
「フィーチャーでも常にベストを出さなきゃいけないってこと。絶対にね。あのバースがどこに行き着くか、誰の手に渡るか、わかんないんだから」
— ファボラス [31:06]
2つ目は、ファボラスが初めてサインした頃のキャッシュ・マネー全盛期の話だ。レーベルが前払い金とスタジオにシャンパンを用意するよう求め、ファボラスはパーティーになると期待していた。ところが実際の展開はまるで違った。
「でもウェインがスタジオに来てさ、10分でバース録って、ベイビーがシャンパンのボトル全部持って行って、みんなとダップして、そのまま消えた」
— ファボラス [32:07]
Wayneはバースを1〜2テイクで録り、ベイビーがシャンパンのボトルをすべて持ち帰り、滞在時間はわずか20〜30分だった。ファボラスは「クリスを1口も飲めなかった」と笑いながら語り、Wayneのモンスター級の制作効率を称えた。
カーターが「ブルックリン出身の歴代最高の5人をスターティングファイブで」と振ると、ファボラスはビギーとJay-Zを即答で挙げ、3人目にステフォン・マーブリーを選んだ。
「ステフのことは俺がリアルタイムで見てきたから。自分の時代に実際に見てきたこと以上の動機や影響ってないんだよ」
— ファボラス [60:02]
子供時代にマーブリーの従兄弟が住んでいた自分の団地にマーブリーがトーナメントに来てプレーするのを目撃した原体験があり、その後の高校、ジョージア工科大、ネッツ、ティンバーウルブズへの道のりを全て追いかけた思い入れが選出の理由だった。4人目にはスパイク・リーを挙げ、「ドゥ・ザ・ライト・シング」であの通りの雰囲気を知る自分が映画の中に自分の街を見られた経験を語り、「スパイクはブルックリンを世界に見せてくれた」と評価した。5人目はマイク・タイソンで、70年代のブラウンズビルという厳しい環境から世界的なボクサーになった軌跡を称えた。
「彼はブルックリンの中でも一番ハードなエリアの出身で、しかも一番荒れてた時代に育ってるから。彼はブラウンズビル出身で、70年代のブラウンズビルにいたんですよ」
— ファボラス [62:32]
ファボラスは「山あり谷ありあったにしても凄まじいストーリー」と表現し、ブラウンズビルは当時「アメリカで最悪の地区トップ3に入っていた」と語った。
マグレディが50 Centの「Jay-Zはどの時代も支配してなかった」という発言への見解を求めると、ファボラスはまず50とJay-Zの間に確執があることを前置きした。「あの意見はそこから来てる。まあそこに既に問題がある」と指摘した上で、レコード売上だけでヒップホップのすべてが決まるわけではないと反論した。
「ヒップホップの中の全てが売上枚数で決まるわけじゃないですよね。そうです。だからカルチャーの中で、ジェイ・Zがジェイ・Zでなかったら、50はそもそもジェイとの接点すら持てなかったはずで」
— ファボラス [66:18]
続けてファボラスはJay-Zのビジネス面での先駆性を強調した。Jay-Zは最初からレコード契約がなく、自らCEOとラッパーを兼任してキャリアを立ち上げた。50 Centがビジネスで成功できたのもJay-Zが何年も前にその道を切り開いたからだと主張し、マイケル・ジョーダンがバスケのビジネス面を変えたことになぞらえた。
「ジェイはラッパーの中でビジネスマンとして最も圧倒的な存在ですよ。それ以前は、ラップの世界にビジネスマンなんていなかった。50がビジネスで展開できてるのも、ジェイ・Zが何年も前にそれをやったからですよ」
— ファボラス [68:03]
ビギーやトゥパックにもJay-Zのようなビジネス構造は一切なかったと指摘し、Jay-Zの文化的影響力とトレンドセッターとしての地位はレコード売上の枚数では測れないと結論づけた。
ファボラスがカーターの大学進学とマグレディの高卒プロ入りという異なる選択について逆インタビューを仕掛けた。マグレディは「俺はとにかく苦境から抜け出さないといけなかった」と率直に語り、家庭環境の違いが進路を分けたと説明した。カーターは「母親が教育者で、GPA3.0を下回ったら試合に出さないと言われていた」と家族の方針を明かした。
「今のトップのNIL選手って600万か700万ドルもらってると思う。今の話でそれだよ。大学で700万ドルはヤバい。ヤバすぎる。俺なら6年いるわ。どうにかして6年いる方法考えるよ」
— トレイシー・マグレディ [76:30]
マグレディは現在のNIL制度があれば絶対に大学に行っていたと断言し、ケンタッキーに進学するつもりだったとも語った。ロッタリーピックでなければ大学で稼いだ方が収入が多くなるケースがある現状にも触れた。カーターは1995年の高校卒業時、190ポンドで6フィート4インチしかなく、「リーグに行く準備ができてるとは思えなかった」と振り返り、ノースカロライナ大学でのシステムプレーの経験がNBA22年のキャリアを支えたと語った。
大学で活躍してもNBAで成功しない選手がいる理由について議論が及んだ。マグレディがパトリック・ベバリーを例に挙げ、高校時代は全米トップクラスで平均30点超のスコアラーだったがNBAではディフェンスのスペシャリストに転身したと紹介した。
「NBAではディフェンシブなストッパーになってたよな。高校や大学で30点以上取ってた選手がディフェンシブストッパーになるって、それはしんどいよ」
— ファボラス [89:46]
ファボラスは「エゴを抑えられる選手は多くない」と指摘し、環境の変化に適応できるかどうかが分かれ目だと述べた。カーター自身もキャリア晩年にロールプレーヤーへ転身した経験に触れた。
「まだバスケが好きだったから続けたかったら、ロールプレイヤーになっていつでも行けるように準備しておく方法を身につけないといけなかった。あれは今まで一番難しい変化だったよ」
— ビンス・カーター [90:36]
マグレディは「ノースカロライナのシステムでプレーした経験があったからキャリア終盤の移行がスムーズだった」とカーターを評価し、自分は高校からずっとボールを持ち続けてリーグに来たためその適応が難しかったと正直に認めた。ヒップホップでもNBAでも、自分のレーンを見つけて適応し続けることが長いキャリアの鍵だという結論で、約99分の対話は締めくくられた。
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